moonpanchoのブログ

思い立ったこと感じたこと

IR 永田町の賭け事

世界中でコロナ感染が拡大し収束が見えない中

永田町の住人(国会議員の方々)は手厚い手当と意味不明な言動を繰り返す

安倍総理の迷走をよそに、優雅に余生を過ごしている。

なぜお金を出さないのか?簡単である。

人のものは自分のものだから。IR永田町の掛金を簡単には手放さない!

霞が関の住人とタッグを組みバカラ賭博に興じ、過去には地方創生や

グリーンピアを始めとする無駄な公共事業を行い、格安で売却。

挙げ連ねたらキリがない。

その割に台風災害、大震災が起きても対岸の火事

永田町は今日もネオンが光るという逝かれポンチな生活を送っている。

オリンピックで票と裏金の回収を目論んだオリンピック関係者たち。

ところがコロナ騒ぎで先が見えなくなり焦る日々。

日本が中止と言えば、オリンピックの返上を意味し多額の損失と

その後の尻拭いを誰がするのかというところで揉め事態を混乱させた。

世界はコロナウィルスの対応で選手の生命も預かる海外のオリンピック関係者。

日本は経済優先国家!人権や国民の生命よりIR永田町の運営に必要な

銭勘定しか頭になく、すべてが後手後手に回った。

それでも給付金より布マスク配布。

まさしく欲しがりません死ぬまでは!を国民に言わせたいだけなのである。

自営業者はコロナウィルスではなく、コロナ無策によって殺される運命に

あるのです。

GWが過ぎれば、沖縄は梅雨に入る。

そして6月は梅雨入り。空梅雨でも異常気象の影響でゲリラ豪雨の餌食に。

そして豪雨災害の発生は、コロナウィルだけでなく、被災者の避難所確保が

困難を極めることに。災害で被災しても病院はコロナでパンク。

医療崩壊ではなく、地方自治体の崩壊が始まるのである。

安倍総理はSORRYと言ってまた政策を後手に回すことに。

コロナウィルスは南半球で更なる拡大と独裁政権の無策でアウトブレイク

発生。来年まで収束もなく、東京オリンピックは中止になる。

仮に運よく開催できても、豪雨災害が発生してしまえば途中で中止もあり得る。

警告でも予告でもなく何れ分かること。

給付金も支払われなければ、来年を待たずにコロナ倒産、自殺が多発。

検視されないまま荼毘に付す遺体がどれだけ出るか未知数である。

東日本大震災すらたった7年で風化。コロナはそう簡単に風化されることはない。

何故ならこれから日本の医療崩壊地方自治体崩壊、経済の行き詰まりが

津波のように第二・第三波と押し寄せ、対岸の火事はIR永田町の参加者のみ

となるから心配はご無用なのである。

この時期に静岡の補選の低調を見てもわかるように、誰も永田町に目が行かない。

それが与野党を含め霞が関の本音なのである。

コロナを理由に任期満了まで居座る安倍政権。戦艦大和は沈むのである。

時代の変わり目。誰も経験したことのない潮目に地球は包まれている。

それでも永田町には電卓とそろばんの叩く音がする。

 

 

堂々巡り

コロナウィルス騒ぎのマスコミ報道に辟易としています。

ウィルスがと騒いでも、振り回しているのも振り回されているのも

人間であるということ。

イタリアで自分には関係ない、大したことないと思い込んでパンデミック

なっていったように、日本でもウィルスをばらまいて亡くなった男性や

アイドルのイベントを中止に追い込んだ若い男性のように軽く見ている

輩がパンデミッククラスターになるということ。

フランスに旅行に行って店が開いてないなんて気楽に考えている日本人女性の

旅行者の姿を見ても当事者意識が低すぎるのが地球上の広がりに繋がっていると

感じます。

沖縄の国際通りがお通夜状態になっている。

教育が、休校が、言いたいことは分かりますが、自分には関係ないではなく

いざに備えよということです。

東日本大震災も他人事だから被害を拡大させた。

歴史から学ばない日本人の特性を災害やコロナウィルス騒ぎが証明しています。

これも数年経てばそう言えば有ったねで終わるのが日本の未来ですね。

ニッポン総白痴化計画を戦後日本が押し進め今になって騒いでいる。

因果応報ではないですが、いつまでたっても変わろうとしなければ

何も変わらず同じことを繰り返すだけ。

さみしい限りです。

 

批判の行き着くところ

政治から始まり映画内容のコメントまで批判だらけのニッポン。

何が楽しいのかさっぱり分かりません。

炎上させる人、受ける人、参加する人、静観する人。

正に秋葉原で起きた殺傷事件を思い起こせばどれかに当てはまり

パズルは解けていきます。

一番悲しいのはスマホのカメラを現場に向けてSNSの投稿に必死な方々の姿。

自分が傷病者となって横たわっているところを救急車を呼ばずに

カメラを向けてSNSに投稿してから救急連絡されたらどうなるか?

などと考える余地もないのだと思います。

世の中というものは、地球が丸いと訴えつつも処刑された古代ローマ

変わらないのだと思います。

真実よりもムーブメント。即ち権力を握ったもののご都合主義。

その方々の最後がどういう風に終わったか、歴史が証明しています。

行政で言うならふるさと納税。是非は別としてよく考えればわかる話。

タワーマンションが一つの自治体とします。

年数が経ち、さあ修繕しましょう。積立金が予定より少ない・・・

どうしますか?なら追加しましょうと簡単にはいきません。

地方自治体もまた同じ。だからふるさと納税で吸い寄せましょう。

ほかの自治体なんてお構いなし!

武蔵小杉の被害付きタワーマンション。賃貸ならいず知らず。大半がローン付きの

分譲販売。しかしながら又貸しの賃貸も少なからず存在する。

やばいから売却しましょうと売り逃げ。空き部屋が出る。

残された方々で管理組合の臨時総会。罵りあうだけではまとまりません。

修繕すれば住人に重い負担が返るだけ。販売会社も管理会社も淡々と

業務をこなす日々。

ふるさと納税もまた同じ。つまみ食いした付けを足元で清算する。

行政サービスが滞る。何故なら税金が返礼品の受け取りで他へ流れたから。

目先だけを見ていたらナイアガラの滝の滝つぼに落ちるだけなのです。

思考停止は死を意味し、批判を繰り返す永田町の国会中継を馬鹿だねとみてる間に

税金が垂れ流され、国債が更に発行される。

真綿で首を絞める年金問題介護保険料。天国だった特養が刑務所以下に成り下がる。

批判の矛先はすべて自分の背中に矢が突き刺さる。他人事で人生は終われません。

ならどうすると問いかける前に、どうすべきか考えることが建設的意見。

誰も墓場に自分を運んではくれません。

 

 

パーソナルスペースと集団行動

最近、街中や銭湯、ショッピングモールでとぐろを巻くように

数人で常に群れる若者が増えてきました。

何故か横並びで、通行の妨げなどお構いなし。

時にはバスの車道を数台のチャリンコで並走する小中学生もいます。

片や電車通勤でお客様トラブルのアナウンスと共に列車遅延となるトラブル。

若いサラリーマン同士、若手と中高年との接触による喧嘩など、

血の気が多いのは構わないですが、一発で人生をも失いかねない事態に。

いつの頃からここまで二極してしまったのか。

スマホの普及でSNSによる集団いじめが陰湿化。

パーソナルスペースを主張する方々は常にゲームや動画に夢中となり

自室の延長上に外界が広がっているように思えます。

親が子供に愛情を注がない、注ぎ方がわからない、玩具や着せ替え人形、

親の見栄で強制的に受験させられ心が縛られたまま成長した学生や社会人が

その反動で問題行動を起こし家庭をも崩壊させてしまう。

偏った見方だとお叱りを受けそうですが、電車やバスで子供の行動や問いかけに

顔を見ずにスマホの画面を見ながら受け答えする親を見かけます。

子供の寂しそうな顔は将来を憂いでしまいます。

子供は親の分身ではないのです。

コンピューターのプログラムのバクではないですが、

子供の心の変調に気づいてあげることも大事ではないでしょうか。

貧富の差と囁かれる昨今。子供に目がいかないという言い訳は、やがて社会に還流し

貧富の差が・・・で片づけてよいものではありません。

貧富の差は今に始まったことではなく人類の永遠の課題でもあります。

プログラムがバクればコンピューターはあらぬ行動やエラーを起こします。

人間も同じだと思います。

原因があるから結果がそのとうりに行かないのです。

ネットに溢れる情報がすべて正しいのではなく、正しいのかどうか自ら思考する

ことが大切で、それを放棄し鵜呑みにしてしまえば、心身は楽ですがそのまま情報に

洗脳されてしまいます。

叶姉妹ではないですが、散々いろいろなこと言われマスコミからも揶揄されて

来ましたが、ブレないというところが女性の間で再評価されてきています。

いつの時代も変わらないものは存在します。

そういうものが何なのか子供と一緒に答えを見つけていくことも大切なように

思えます。右向け左。後ろ確認、前ヨシと言って後ろに下がってよいのでは。

皆と一緒であることが安全地帯ではないです。

助けてくれる保証はどこにもないのです。

不器用なら不器用なりに模索する努力も必要ではないでしょうか。

文筆家ではないのでつたない文章で失礼しました。

 

 

 

 

 

初めての書き込み

最近、休みになると映画や美術館、知らない街を散策するようにしています。

多趣味のようで、気分転換やストレス発散のために少しの間を割くことで

気持ちが軽くなります。

都内は再開発が進み、都心のど真ん中にポツンと一軒家という光景も

減ってきています。

木造住宅は朽ちてしまい、生活も不便さや大変さを感じ取れます。

赤坂や虎ノ門周辺は数年前まで一軒家を見かける機会がありましたが、

今ではオリンピックに向けた再開発でビルの谷間にある時間貸し駐車場が

その余韻となっているように思えます。

都会の雰囲気が人をハイソに見せているようで心は空虚などという感じが

観て取れます。

地方の田舎町を旅行すると時間が止まったような空気に包まれ自分でも

どうしたらよいか迷うこともしばしば。

しかしそれが心の安らぎには良いと最近感じ始めました。

田舎は三日で飽きる。とは都会暮らしに慣れ切った人のセリフ。

しかし年齢を重ねるごとにそこに良さを感じるのもアリなのかなと。

時間に追われる都会という空間。

東京に慣れてしまうと当たり前のようで、そうではないことが新しい発見に

繋がります。

東京生まれの東京育ちの自分にとって地方での発見は第二の故郷探しにも

なります。

再発見。これが今年のテーマです。