moonpanchoのブログ

思い立ったこと感じたこと

この風景はどこでしょう。 Where is this landscape?

f:id:moonpancho:20211126211832j:plain

 

日本の各地を旅する暇人です。

日本の端っこや風光明媚な場所に足を踏み入れています。

さてこの場所はどこでしょう。

当てる人が出てきたらシリーズ化してみたいと思います。

ちなみに子供の頃から遡ると47都道府県すべてに足を

踏み入れています。

I am a leisure person who travels around Japan.

I'm stepping into the edge of Japan and scenic spots.

Where is this place?

I would like to make a series when there are people who can win.

By the way, if you go back to your childhood, you can visit all 47 prefectures.

I'm stepping in.

 

コロナという名の心の病 ②  A mental illness named Corona ②

経済予測をしていた去年。

テレビやネットに出てくるエコノミストやコンサルの方々などが、

ことごとく経済予測を読み違え、大手企業は永田町に振り回され

赤字を計上しました。

去年を東日本大震災に例えるなら、海へと引き込まれる引き潮です。

何が何だかわからないうちにあらゆるものが海に引き込まれていきました。

今年は、大津波です。

福島原発をも破壊する大津波がこれからオリ・パラを伴って押し寄せるのです。

その破壊力は経済的に戦後最悪を繰り返した不況を遥かに凌駕します。

今年の前半戦だけでも、倒産より廃業が目立ち、大手企業は軒並み赤字。

半導体不況で世界的な金余りの中、日本は何もできずに沈んでいきます。

コロナの解決のないまま、迎えるオリ・パラ

下手すると映画にもなった「復活の日」が現実のものに成り兼ねないのです。

企業業績に濃淡が出てきていますが、勝利する企業は存在しないのです。

連続赤字で法人税は連続未納となり、国や東京都の歳入を直撃します。

そして中途半端な対策をしているコロナ対応は、やがて変異株だけでなく

うつ病精神疾患を助長していくのです。

意外と知られていませんが、自殺者が減らないのと同じく、

精神疾患の患者は右肩上がりなのです。

オリ・パラのツケはだれが払うのか。

名を変えた増税で国民から搾取するのです。

長野オリンピックは、長野県民が20年かけて償還。

復興税が平易に取られていますが、有効利用されている訳ではなく

永田町と霞が関周辺でマネーロンダリングされているのです。

そしてオリ・パラの赤字補填も名を変えた増税で搾取されるのです。

総選挙が行われ来年にはオリ・パラの話題も消えていくのです。

そして来年は去年来からのコロナやオリ・パラに始まり原発廃炉のための

電気料金が値上げされていくのです。

少子高齢化の破壊力を若者はあまり認識していないですが、

インフラ整備のためのお金もコロナで使い果たして地方自治体にはありません。

ポツンと一軒家ではないですが、日本全国に限界集落がこれから増えていきます。

10年後には丙午世代は皆現役を引退です。

30年後には若者世代が日本を背負う中心です。

スマホで浮かれていたら、どこかの植民地にでもされてしまうのです。

これが現実です。

来年度の末までは経済的混乱が続き、浮上する見込みもないです。

世界から取り残され、競争するか鎖国するか迫られるくらいに追い込まれます。

国が何とかしてくれるなんて浮かれていられるのは、高度成長期世代までです。

私はコンサルでもないのでザックリとお話ししています。

先を読む力がないとこれからの時代は勝ち組が存在しません。

人の尻を追いかけていると、一緒に滝つぼに落ちるというのが答えだと思います。

続く

 

Last year I was making economic forecasts.

Economists and consultants who appear on TV and the Internet

All the big companies misread the economic forecast and were swayed by Nagatacho

I posted a deficit.

If you compare last year to the Great East Japan Earthquake, it is the ebb tide that draws you into the sea.

Everything was drawn into the sea before I knew what it was.

This year is a big tsunami.

The big tsunami that destroys the Fukushima nuclear power plant will be rushing along with Ori Para.

Its destructive power far surpasses the economic recession that repeated the worst after the war.

Even in the first half of this year, business closures are more noticeable than bankruptcies, and all major companies are in the red.

Japan is sinking without being able to do anything in the midst of the global recession of money.

Ori Para welcomes you without Corona's solution.

If you are not good at it, the "Resurrection Day" that became a movie can become a reality.

There are some shades in corporate performance, but no company can win.

With consecutive deficits, corporate tax will be unpaid in a row and will hit the national and Tokyo revenues directly.

And the corona response, which is taking half-hearted measures, will soon be not limited to mutant strains.

It promotes depression and mental illness.

Not surprisingly, just as the number of suicides does not decrease

Patients with mental illness are on the rise.

Who pays for Ori Para?

Exploit from the people with a tax increase that changed its name.

The Nagano Olympics will be redeemed by the citizens of Nagano over 20 years.

Reconstruction tax is taken easily, but it is not being used effectively.

Nagatacho and Kasumigaseki are money laundered around Seki.

And the deficit compensation of Ori Para is also exploited by the tax increase that changed the name.

The general election will be held and the topic of Ori Para will disappear next year.

And next year will start from last year's Corona and Ori Para for the decommissioning of nuclear power plants

Electricity charges will be raised.

Young people are not very aware of the destructive power of the declining birthrate and aging population,

The money for infrastructure development is also exhausted in Corona and there is no local government.

Although it is not a single house, the number of marginal villages will increase all over Japan.

Ten years later, all Hinoe uma generations will retire.

Thirty years from now, the younger generation will be the center of Japan.

If you're floating on your smartphone, you'll end up in a colony somewhere.

This is reality.

Economic turmoil will continue until the end of next year, and it is unlikely that it will surface.

You will be left out of the world and will be forced to compete or be isolated.

It is only up to the high-growth generation that the country can do something about it.

I'm not a consultant, so I'm talking to Zackri.

Without the ability to read ahead, there will be no winners in the future.

I think the answer is that if you are chasing a person's hips, you will fall into the waterfall basin together.

Continue

 

HSS型HSPその②

未来予想図。

普通の人は今を考え今を生きる。

それがSNSやゲームかもしれない。

しかし私は表題の通りの型破りな人間である。

人とは違う視点、考え方を貫き通す癖がありある意味頑固者とも揶揄される。

ある人からは批評家・他人事のように話すと言われる。

その通りかもしれない。何故ならこの瞬間、瞬間の中に自分が存在していない。

相手と話していてもその人は願望たる未来や過去を話すため反りが合わない。

願望という未来は幻でしかなく、積み上げてきた結果が存在しない。

そこを突っ込むと反発を食らう。

しかし積み上げたものを持っている人間は、これだけの結果を残してきた

という通過点、すなわちプロセスを載せて未来を語る。

スポーツ選手が過去の栄光を語らずにストイックに自分を表現するように

あの時こうだったという過去形が存在しない。

イチロー三浦カズのようにそれでも前へという姿勢が本物である。

自分自身、最近の閃きで部屋に日本全図を飾った。

何のためか?それは過去に行った場所を確認し、次に行きたい場所を確かめる

そのためのマーキングである。

バブルの頃はまだ20代で、時刻表の日本地図を眺めては行きたい場所を指でなぞり

ため息をついていた自分がいた。

それからふと振り返るとなぞったすべての場所を踏破していた。

海外に憧れはあるものの、特異な場所ばかりで探検家にでもならない限り

踏破できない場所ばかりである。

そのため日本国内を目指した。

北は稚内から南は波照間、東は納沙布に小笠原、西は与那国島

南鳥島へ憧れるも、気象庁自衛隊、研究者以外縁のない場所。

47都道府県、本土の四隅(稚内犬吠埼佐多岬神崎鼻)等々

テーマを決めて散策の旅。

決して行けない場所(GPS上の位置・岩礁など)にはこだわらない。

日本三大鍾乳洞、国宝五城、大きな半島の突端の岬などあちこち踏破。

小笠原諸島は一生涯の良い思い出に。

すべて引きつけの法則で叶ったことである。

日本の隅々まで行くと流石に日本は小さく感じる。

STAY HOMEの呼びかけも私には通じない。

人が動かないからこそ観光客のいない場所へ!これが私のポリシー。

経済活動と同じ。皆が一斉に購入すれば高騰する。

トイレットペーパーにマスクに消毒液。

GWやお彼岸、お盆に出かければ交通費も物価も高騰する。

私はその隙間に旅をする。今年3月の沖縄の旅は正にコロナとの戦い。

コロナ地雷に当たればイチコロですが無事に生き延びた。

今度は北海道の岬散策。吉凶揃い踏み。

 

 

HSS型HSPその①

最近HSPという心の在り方が注目を浴びている。

その中でもマイノリティーな存在のHSS型HSP

人口の数%しか存在しないという。

時田さんという方が講演やブログを立ち上げ紹介している。

自分自身このブログに出会ってHSS型HSPの存在を知った。

病気ではなく心の在り方という。

チェック項目のほとんどにチェックが入るほどのタイプのようで

人生を振り返ると生きづらい中を生きてきたようにも思える。

しかしながら人生というものは、枠にはめるのではなく

自分で探求するものと悟り、心の赴くままやりたいことを実行して

来たようにも思える。

その一つに引き寄せの法則という言葉があるように、頭にイメージした

やりたいことを一つづつ引き寄せてきた。

一番の成果は、日本全国の隅々まで行かせてもらったこと。

則ちHSS型の持つフルスロットルで突き進むバイタリティー

これが自分の人生を豊かにしてきたのかもしれない。

釣り竿に例えるならHSPは獲物に引っ張られ思いっきりしなった状態。

HSSはそれを真っすぐに戻す作用。

普通の人なら、釣り竿がポッキリと折れ心が壊れる。

いじめやストレス過多など自身への負荷に耐えられなくなる。

しかし何故か私の心はギリギリのところで引き戻される。

スピリチュアルな部分もあり、未来から現在を逆算して世の中を見ている。

自分の未来は見えないが、人の未来が数年先まで見えるというより

心で感じとれてしまう。

言動や行動様式からこの人はこうなるなという感じで観じ取ってしまう。

時にホラー映画のダミアンやシャイニングのように自分の意志に関係なく

周りを巻き込んでいくこともある。

そして森羅万象の時間の歪みを整えたり、歪ませたりと予想外の結果を

もたらすこともあり、普段から使わないように注意している。

不思議なことに沈む船には乗らない。沈む前に下船、則ちそこから離れるように

見えない力が働くこともあり、時代の変化の前と後を見てきたりもした。

普通の感覚なら妄想だよと一言で片付けられてしまう。

日本全国を旅すると、人や土地との相性という不思議な感覚に出くわす。

九州・沖縄出身の方は、何故か私の懐に入ろうとする。

普段から取っ付き難いと言われ敬遠されることが多い私に初対面でも

ラフに飛び込んで仲良くなる。

その反対に九州という土地には忌嫌われ、鹿児島県との相性は最悪である。

過去に何度となく九州、鹿児島に赴くもその後九州全域に異常なまでの

気象変動が起きている。不思議である。降雨量の更新の始まりは

私が過去に九州を一周したとことから始まっている。

そして沖縄地方の中でも八重山地方は、私を歓迎し雨天を晴天にしてしまう

常識外れの気象変動が起きる。地元の人も首を傾げるくらいの出来事。

私は決して晴れ男ではない。とだけ書き入れておく。

 

 

世代格差

コロナ騒ぎの中、週末に繰り出す若い世代の家族やカップル。

平日は年齢の行った世代が、三蜜を避け友人を連れて散策に

出かけている。

危機感がないと煽るマスコミ。

しかしながら一番危機感がないのは永田町であり霞が関の住人。

PCR検査による数字の発表は、正に戦時中の大本営の発表に

他ならない。ネット社会において数字が嘘をつくことは常識で

ワイドショーやニュースで騒いでも誰も耳を貸すことはない。

三蜜に繰り出す彼らは、一種のゲーム感覚でしかない。

俺たちはまだ感染していないぜ!とアピールしている。

芸能人が次々と感染していく中で、人との接触なしに感染しました

ということはあり得ない。潔癖だろうが不潔だろうがそれは

一要素でしかないのである。

志村けんさんが亡くなったが、すでに過去の出来事。喪に付して

ハイおしまいでしかない。

結局対岸の火事でしかなく、人口の半分が感染でもしない限り

皆の意識は変わることはないのである。

このままだらだらとPCR検査を行い数を発表していると、俺には

関係ないや!早く経済の再開をお願いするデモがアメリカのように

日本でも発生する。先に先頭を切るのは庶民ではなくプチ金持ちで

あり成金がネットで煽りやがて騙されて乗る意志の弱い方々が

次々と感染し、ネットで煽った方々は高みの見物となる。

しかし経済の停滞が続くと一般庶民より前者の小金持ちのお尻に

火が付き始める。何故なら本当の金持ちは日々倹約するが、

小金持ちにはそういう習慣がなく預金残高を見ながら焦りとの

戦いになり行き詰まり崩壊していく。

一度味わった美味しい思いからはなかなか離れられないのが人間

である。高価買取も経済の停滞の中では二束三文の世界。

経済は需要と供給で成り立つが故に、マスクに人が集るのである。

ブランド物はVIPと一般ではお店での対応が違うし品物も違う。

ポルシェが個人オーダーと量販の違いがあるように、ブランド品は

常に差別によって上位客の懐を確かめている。

さあこれから政府の大本営発表の限界と第二波が日本を叩きのめす

ことになる。格差格差と騒いでいたがいつまで続くかわからない

コロナ騒ぎの中、一歩引いてみると人間の本質が見えてくる。

ニッポン総白痴化の成れの果て

白痴は現在では差別用語になり使用することが亡くなった。

日本は明治維新以降何も変わっていないことに気付いている人は少ない。

小説にかぶれ幕末の英雄のように祭り上げられた武士たち。

結局は政治・権力によって抹殺された方々に過ぎない。

その一部を切り取って英雄視するのはそれぞれの価値観なので否定しない。

ニッポンは、寺子屋を離れ開国の流れから教育はエリート思考へと変化し

秀逸な人材を発掘し時の権力に従わせようと洗脳してきた。

第二次世界大戦までは各々が機能していたが、やがてのぼせ上った軍幹部の

一部がクーデターを起こし権力者への服従を拒むあらゆるものへの弾圧へと

向かわせ滅びへと突き進むことに。

そして敗戦。復興の道を歩んで行っているように見えたが、それは一時の夢物語に。

60年安保をいまだ清算できずいる当時の方々。

高度成長、バブル崩壊リーマンショックなど、気づけばすべて一時の悦楽に

過ぎないのである。

川はこうこうと流れる。時の時代の中で美味しい思いをしてきたのは誰か。

決して庶民ではないのである。

時の権力にぶら下がった一部方々に他ならないのである。

民の犠牲の上に建設した国家権力は必ず滅びる。

中国をはじめ世界中の歴史が証明してきたこと。

7つの海を支配してきた列強国の現在は?同じことである。

日本は一部の方々が庶民から巻き上げた税金を政治という賭博につぎ込み

消費してきた。成れの果てのグリーンピア

そし現在コロナ騒ぎで賭博場が閉鎖され巻き上げた税金が庶民のもとへ。

経済の停滞は庶民よりも成金、プチ金持ちの懐を直撃することに。

長期化すればその方々の家庭が崩壊、あぶく銭でローンを組んでいた方々の

ローン破綻がやってくる。先を見ないことのツケなのである。

SNSで自粛しない若者を取り上げているが、街中を散策していると

年齢も性別も関係なく市中に繰り出している。

それを若者がと騒ぐのは、論点のすり替えに他ならない。

国会議員が欠席しても休業補償がある。

一般人にはそれが存在しない。すべてが経済という歯車に組み込まれている

から外れればやがて社会にひずみが出てくる。

永田町や霞が関の一部の方々が美味しい思いをしても最後は兜町の風雲児

許永中氏のような最期を遂げる。ただ報道されないだけ。

長い間、日本人は永田町や霞が関のベルトコンベアに乗せられ白痴化という

洗脳教育によって何も考えなくなっていった。

そこにホリエモンを始めとする遠視眼・近視眼を使いこなす方々が登場。

永田町や霞が関は封じ込めに走った。

今、コロナで迷走している中にあってシンプルに問いかけて道筋を出せているのは

永田町や霞が関の方ではなく、近視眼・遠視眼を駆使している方々に

他ならないのである。永田町は野党が壊滅状態。大阪のお偉い方々は一生懸命だが

庶民の心を掴み切れていないがゆえに東京に次いで感染者を排出している。

コロナが教えていることはただ一つ。生きるか死ぬか。

人生は悔いなく生きてなんぼの世界。やりたいことは国が与えてくれるわけではない。

マスメディアが作った虚像に体を合わせても身にはならない。

こんなところに日本人という番組で、世界の僻地で汗を流す日本人がいる。

素晴らしいでしょう。自分の選んだ生き方を貫いて。

亡くなった中村医師もその一人である。

今の混乱をいくらSNSやテレビで若者がと言っても、感染しても人間の本質は

変わらないのである。所詮対岸の火事。それは日本人の歴史が証明していること。

幕末以来日本人は何も学んでいないのである。白痴化とはそういうことなのである。

哲学不在のニッポンに残された道は、戦後の混乱期ではなく北斗の拳の世紀末

救世主不在伝説なのである。

人生は一度きり。大いに楽しんでなんぼ。ただし社会や人に迷惑をかけると

最期に閻魔大王に舌を抜かれるのである。

 

 

笛吹けど踊らず驚かず。

クラスター班のコロナに関する感染リスクが発表されたが、安倍総理

瞑想ぶりに誰も数字を信じなくなっている。

オオカミ少年の戯言。安倍総理ご用達大学教授という印象が定着してしまった。

連日コロナへの感染リスクを覚悟しながら都内を散策していて感じることは、

対岸の火事のような空気が漂っていること。

繁華街やオフィス街はゴーストタウン。

神社やお寺、公園は子供を遊ばせる唯一の憩いの場。

保育園の散歩風景は微笑ましいが駄目とも言えないし苦しい選択に。

そして阪神淡路、東日本大震災熊本地震のように住まいが亡くなる訳でもなく、

騒いでいる割には罹らないじゃんくらいの空気が漂う。

テレビ報道やワイドショーに慣れてしまい実感がわかないのが現実。

医療従事者への敬意が薄い日本人の希薄さ、ダムの決壊は小さなヒビから

起きるように、コロナ感染リスクというヒビ即ち医療器具の枯渇が見えたとき

突然パンデミックアウトブレイクになり本当の怖さを知ることに。

人類が岐路に立っていると感じるのは終息して10数年経過した後となる。

バブルに踊った日本人は30年経っても何も学ばないように、コロナから学ぶことは

何もない。

永田町がバブルから現在まで同じことを繰り前しているように、火の粉を散らして

いるだけのこと。

コロナも終息したらそう言えば有ったねで、亡くなった遺族や医療関係者への

敬意など微塵もなく平然と過ごし過去となる。

後ろの正面だあれを繰り返し、映画この子の七つのお祝いにように

忘れたころに再び恐怖が襲う。

10年後、確実に日本を震撼させる出来事が起きます。