笛吹けど踊らず驚かず。
クラスター班のコロナに関する感染リスクが発表されたが、安倍総理の
瞑想ぶりに誰も数字を信じなくなっている。
オオカミ少年の戯言。安倍総理ご用達大学教授という印象が定着してしまった。
連日コロナへの感染リスクを覚悟しながら都内を散策していて感じることは、
対岸の火事のような空気が漂っていること。
繁華街やオフィス街はゴーストタウン。
神社やお寺、公園は子供を遊ばせる唯一の憩いの場。
保育園の散歩風景は微笑ましいが駄目とも言えないし苦しい選択に。
そして阪神淡路、東日本大震災、熊本地震のように住まいが亡くなる訳でもなく、
騒いでいる割には罹らないじゃんくらいの空気が漂う。
テレビ報道やワイドショーに慣れてしまい実感がわかないのが現実。
医療従事者への敬意が薄い日本人の希薄さ、ダムの決壊は小さなヒビから
起きるように、コロナ感染リスクというヒビ即ち医療器具の枯渇が見えたとき
突然パンデミックやアウトブレイクになり本当の怖さを知ることに。
人類が岐路に立っていると感じるのは終息して10数年経過した後となる。
バブルに踊った日本人は30年経っても何も学ばないように、コロナから学ぶことは
何もない。
永田町がバブルから現在まで同じことを繰り前しているように、火の粉を散らして
いるだけのこと。
コロナも終息したらそう言えば有ったねで、亡くなった遺族や医療関係者への
敬意など微塵もなく平然と過ごし過去となる。
後ろの正面だあれを繰り返し、映画この子の七つのお祝いにように
忘れたころに再び恐怖が襲う。
10年後、確実に日本を震撼させる出来事が起きます。